京の算数学問題#467
算数学コラム
みなさんこんにちは!京都市中京区で学習塾を運営しております。油谷拓哉(ゆたに たくや)です!
57は素数!?
というブログを以前書きました。(詳細は下記をのぞいてください)
今日はそんな57は素数というお話から人生の教訓までお話を広げていこうと思います。
57は素数ではない!
素数というのは1を除く、その数自身と1でしか割れない2や7のような数を言います。
グロタンディークは1928年〜2014年まで活躍したドイツの数学者です。
1966年にはフィールズ賞も受賞しています。
そんな彼が、とある講義中学生からの「抽象すぎてわからない!」という質問に素数の具体例として挙げた数字が「57」でした。
57=3×19で表すことができるため素数ではありません。
ここからグロタンディーク素数として現代までいじられ続けているのです。
弘法も筆のあやまり
日本にも同じようなことわざがあります。
弘法大師(空海)は平安時代初期の僧侶で書の名人でもありました。
天皇の命を受け、平安京の應天門に設置する書を書いた際に應の下の心の部分で点を1つつけ忘れてしまったのに気づき、すぐに筆を下から投げて点を1つ加えたという話があります。
これが「弘法も筆のあやまり」です。
その道に長けた人でも時にはミスをするという意味です。
まさにグロタンディーク素数とは弘法も筆のあやまりなのです。
完璧な人間など存在しない
どんな立派な人でもミスをするのですから我々だってミスをします。
大事なのはミスをした後です。
同じミスを繰り返さないようにどうしたらいいか?を考えます。
成功事例よりもミスの事例の方がよっぽど良い教材になります。
大人から子供に向けてのアドバイスには自分の失敗談から来るアドバイスが多く含まれています。
昔年上のいうことは聞くものだよと親から言われました。
まさにその通りだとこの年齢になって思います。
いじられ続ける人ほど価値がある
グロタンディークもまさか1つのミスをここまで引っ張られるなんて思いもしなかったでしょう。
弘法大師だって、ことわざになっています。
ですが逆に考えればここまで語り継がれるケアレスミスは誰もが知る偉人だからこそです。
ある意味敬意のあらわれとも捉えるべきでしょう。
学生時代いじられる事が嫌すぎてなんとかいじられないようにと立ち振る舞っていましたが、よくよく考えればいじられているということは名前も覚えてもらっているし、関心を持たれているということです。
好きの反対は無関心、嫌いではないのです。
いじられている人ほど価値があるというのもあながち間違いではないのかもしれません。
以上!京都市中京区のアイデア数理塾 油谷拓哉(ゆたに たくや)がお届けいたしました!
算数好きあつまれ〜!