「人間五十年」人生をかけて時代を切り開いた戦国武将 織田信長について書いてみた 京の算数学#471

京の算数学問題#471

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算数学コラム

みなさんこんにちは!京都市中京区で学習塾を運営しております。油谷拓哉(ゆたに たくや)です!

今日は織田信長についてまとめてみました。
天下統一を目前に命をたった織田信長。
その人生はどのようなものだったのでしょうか?

尾張国の田舎侍だった織田信長

織田信長は、尾張国の守護代の家に生まれ育ちました。
その慎重な性格やカリスマ性、革新的な政策により、一代で日本のおよそ1/3を自分のものにしてしまいます。

織田信長VS今川義元〜桶狭間の戦い〜

織田信長の有名な戦いといえば「桶狭間の戦い」が一番に挙げられます。
1560年に駿河の守護大名の今川義元と戦います。当時の実力差を考えれば、誰もが今川義元の勝利を確信していました。
だからこそこの戦い以降、信長はその名前を轟かせていくことになるのです。

織田信長がなぜ勝てたのか?

今川義元の方が、身分も上で戦いの経験値も豊富です。
さらに織田軍2000人vs今川軍25000人(諸説あり)とあきらかな戦力差がありました。

しかし、これが今川義元の油断を誘いました。信長は、綿密に計画を練り、最後まで諦めずに戦いました。天候を味方をし、見事勝利を収めたのです。

織田信長の最後〜本能寺の変〜

織田信長の最期といえば、家臣明智光秀の裏切りによる本能寺の変です。
桶狭間の戦い以降、順調に勢力を伸ばし、天下統一に一番近い人物となりました。

本能寺の変についてはいまだに謎が多く、詳しい裏切りの理由ははっきりとは明かされていません。本能寺で襲撃にあった信長は、自ら命を断ちます。

そのときに「人間五十年、下天(化天)の内をくらふれハ、夢幻の如く也」という歌を残したとされています。

(実際にこの場面で謳ったかどうかは諸説あり)これは、「人の世の五十年くらいは、天界の下方の時間で見ると、ほんの夢や幻のようなもの」という感じの現代語訳です。実際に信長は49歳で亡くなっているので、彼の人生観や死生観を表しているといえそうですね。

以上!京都市中京区のアイデア数理塾 油谷拓哉(ゆたに たくや)がお届けいたしました!

算数好きあつまれ〜!

京の算数学 解答#471

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