今日の問題#116
今日のコラム
僕が2019年独立をした当初、どうやって子どもたちを幸せにするか?が僕のテーマでした。
心理学やボディワーク、いろんな勉強をして支援を続けてきました。
そんな時に学生時代からずっとお世話になっている先生から言われた1言が今でも僕のバイブルになっています。
「人を幸せにしたければ自分が幸せになりなさい」
幸せって人それぞれ尺度が違いますし、結局自分が幸せって感じて初めて幸せなんだと思うんです。
開業時「不登校の子ども達を助けたい!」という志が思いっきり間違っていた事に気がつきました。不登校の子どもが苦しい思いをしているのは悪魔で僕のこじつけであり、幸せな不登校もいると言う事がわかったからです。
そもそも不登校支援事業を始めたのは僕自身が不登校当事者であり、学生時代すごくしんどかった毎日を過ごしていたからです。
「自分とみんなが同じだと思うな!」と幼少期から両親に言われ続けていた事がようやく腑に落ちました。
そして自分なりに幸せについて考えてみたんです。
まず自分が思いつく限りの幸せを書いてみました。
年収や家族構成、日常生活など思いつく限り書きました。
そこで重大な事に気がつきました。
僕が羅列したものは羨ましいと思っていた人がモデルになっていたのです。
これでは幸せになれるわけがありません。他人には当然なれないのですから他人を目指してもイコールにはなれません。
次に幸せになる方法を探しました。
自己啓発の本を読んだりセミナーへ参加したり、いろんな人の話を聞いているうちにみんな伝え方は違えど同じ解釈をしている事に気づきます。
これに関しては悩みに悩みましたが、困った時こそ原点回帰。
幸せを辞書で調べてみました。
運が良い事、幸運、幸福。
う〜んいまいちピンとこない。
そこでたまたま動画で流れていたゴルゴ松本さんの幹事の授業くだりで閃きました!幸の漢字の成り立ちって何?
それを調べて驚きました。
1説によると幸は「生きてるだけましだろう」という意味だそうです。
幸が表しているのは手錠です。簡単に言うと捕まった人が斬首されていたりする時代に手錠をかけられると言うことは牢に入れられると言う事。つまり「死なないから生きてるだけで運が良かった」と言う意味を表していると言います。
僕の解釈では「生きてるだけでええやんか」と感じました。
妙に納得してしまい冷静に考えてみると身近なところに幸せがあった事に気がつきました。
結局、お金持ちでも不幸せな人はいますし、大企業の社長がみんな幸せかと言われればそれはわかりませんし、最近ではウェルビーイングという言葉も流行りだしました。
幸せの尺度は人それぞれなので人を幸せに“しよう“ではなくて本来は、幸せな状態”である“という前提で動いてみるといろんな事がわかってきます。
過剰なアドバイスや指導が絶対行けない事だとよくわかります。
幸せは与えるものじゃなく自分で気づくものだったんです。
今僕は幸せなのですが、幸せを感じるようになってからは思いのほか良い知らせが舞い込んできたり仕事に関する活力もすごく大きくなりました。
幸せだからこそありがとうと言う感謝の気持ちが湧いて出てきます。
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