京の算数学問題#472
算数学コラム
みなさんこんにちは!京都市中京区で学習塾を運営しております。油谷拓哉(ゆたに たくや)です!
博物学者、画家、作家、、、多くの顔を持つ「アーネスト・トンプソン・シートン」という人物を知っていますか?
日本では「シートン動物記」を書いた人物としてよく知られています。ファーブル昆虫記と並んで親しまれています。
大自然に囲まれた学生時代
1860年にイギリスで生まれたシートンは、5歳のときにカナダへ移住します。幼い頃のシートンは活発な少年で、学校が終わると森へ行き、探検をしたり動物を観察したりして過ごしました。この体験が、博物学者を志したきっかけとなっています。
父の反対で絵の道へ
博物学者を目指したシートンでしたが、父の反対にあい、画家の道に進みます。父は厳格な人物でありましたが、その厳しさに負けず、美術学校を優秀な成績で卒業します。このころから動物の絵を得意としていました。
イギリス王太子に熱烈アプローチ
カナダの美術学校を卒業したシートンは、さらに絵画を学ぶべくイギリスへ渡ります。アカデミー入学の試験課題の絵を描くために大英博物館へいきます。大英博物館には図書館もあるのですが、図書館の利用には年齢制限がありました。当時19歳だったシートンは入館できませんでしたが、諦められず、イギリス王太子、イングランド国教会の大主教、首相の許可を得れば入れることを知ります。三者に熱烈な手紙を送った結果、許可が出ました。毎日通いつめ、そこで再び博物学者への思いが再燃しますが、劣悪な生活環境から体調を崩してしまい、カナダに戻ることとなります。
オオカミ王ロボとの出会い
画家として、そして博物学者として活動していた彼のもとに「オオカミを退治してほしい」という依頼が届きます。このオオカミのロボとの出会いがシートンの人生を変えていくことになります。お話の「オオカミ王ロボ」も彼の体験が元になっているんですね。挿絵もシートン自身が描いたものであります。
その後も博物学者、画家、作家として活動し、さらにボーイスカウトの発起人となったシートン。幼少期に興味を持ったことは生涯にわたって自分の軸となり、より人生を豊かにするものとなるのかもしれませんね。
以上!京都市中京区のアイデア数理塾 油谷拓哉(ゆたに たくや)がお届けいたしました!
算数好きあつまれ〜!