落ちこぼれの学問 陽明学とは? 今日の数学#108

今日の数学問題#108

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今日の数学コラム

2019年 6月 不登校支援事業して出張型のカウンセラーとして活動を始めた僕は知人の紹介でとある勉強会に参加しました。

その勉強会では「陽明学」から学ぶをコンセプトに自身の教養と内省を深めるワークショップが行われていました。簡単に流れを説明しますと、自己開示→陽明学伝習録から1節を読む→内容を自己解釈する→グループで翻訳シェア→気づきを発表と言った流れで士業の方が多く参加をされていました。

今の僕の教育論はここが肝になっていて、陽明学に触れてから一気に成長できたと言っても過言ではありません。

陽明学って?

陽明学とは、中国明の時代に王陽明(おうようめい)という方が説いた悟りのことです。

東洋哲学であり、知の学問と言われる朱子学との比較で心の学問としてよく用いられる。

王陽明は中国の軍事、行政に名声を博した武将であり官僚でもある。

伝習録は王陽明と弟子たちの対話を記録したものであり、王陽明本人は書物を残すなと言っていたそうだが弟子たちが後世に残したのが伝習録である。

対比として用いられる朱子学は貴族の学問と言われ封建制度を守るために適した思想と考えられてきた。朱子学には世の中の全てのもの事は、「理」で成り立っていて、「理」を学問する事で理解が深まり「性」へと至る事ができるとしていますが、王陽明自身もこの朱子学をとても熱心に勉強していたといいます。その中であまりの熱心さに当時の朱子学の道徳的思想が失われている事を批判し問題点を指摘、不足分を独自の解釈のもと加えていき出来たのが陽明学だ。良く、朱子学の反対が陽明学と言われているがその解釈は間違っていて、両思想は大部分は同じであるが違う部分があると言うだけである。

王陽明がとても熱心な朱子学者であった事は忘れてはいけない。

陽明学の考え方

心既理(しんそくり)

すでにあなたも心の中にも良い心がある。

例えば電車に乗っている時、自分と友人が優先座席に座っていたとしよう。

目の前にはおじいさんが立っている。

自分は席をゆずったのだが、友人は寝たふりをしていた。

この時、自分は「良かれ」と思って席を譲った。友人は恐らく「ゆずった方が良いだろう」とわかっているからこそ寝たふりをしている。

ただ、だるいとかめんどくさいとか言う私心が邪魔をして良い心のままに行動をできなくしているだけで、君も友人もすでに良心は持っているんだよ。

これを「心既理」といます。

到良知(ちりょうち)

すでにあなたの心はやるべき事がわかっている

自分の無意識は何をすべきかが既にわかっているのにそれと違うことをやるとなんかモヤモヤする。逆に勇気を出して行動を起こすと清々しい気分になる。

この良知に従って行動する事を到良知という。

知行合一(ちぎょうごういつ)

知ることと行う事はバラバラではなく一つなのですよ。

例えるなら納豆を毎朝食べる人は納豆の良さを知っている人だ。

納豆を食べない人は納豆の良さを知らない人だ。

と言うような意味である。

困っている人を助けようとする(行動)人は助ける喜びを知っている(知識)人だ。

助けないのはまだ助けるという「行動」の素晴らしさや嬉しさを「知らない」からだと考える。

陽明学から学んで

この考えは僕にとってすごく衝撃的だった。

要するに善悪というもの自体が存在せず、ただそこにあるのは事象だけであって不登校を救いたいとか困っている子を救いたいと考えていた自分がとても未熟だったことに気づいた。不登校=不幸なのか?と言われるとそうではない。不登校でも幸せを感じている子もいるし活躍している人もいる。結局僕自身が勝手にレッテルを貼り、社会を色眼鏡で見ていたことに深く反省をした。

ありのままを感じることそれがどんなメソッドや療法よりも子どもの可能性を大きくすることに繋がるのだと気づいた。

そこから今までは一気に周りの様子が変わっていった。

恐らく学びが生きているのだろうと思う。

哲学はその学問を学ぶのではなく学問から学ぶのがとても大切だ。

これからも毎日勉強を続けていこうと思う。

以上!京都市中京区のアイデア数理塾 油谷がお届けいたしました!

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