今日の数学問題#073
今日の数学コラム
これに関してはぼくも学生の時常に思っていました。
テストの点数が全てでしたから
面白くも何ともない授業を受け
必要性を感じない
大人から言われたのは、
「計算だけ出来るようになったらいい」
しかし、大人になって感じた事は、計算だけじゃダメでした。
5教科は本質を理解すれば本当に役に立つ。
日本の教育ってすごいなと思いました。
今日はそもそも学ぶとはどういうことか?についてお話します。
学校教育の歴史
今の近代教育は元々江戸時代がルーツです。
当時は武家のための藩校と呼ばれる「文武」を学ぶ場所
庶民のための読み書きを学ぶ「寺子屋」を学ぶ場所
この2つを主とし、その他(私塾、洋学、郷学)さまざまな学び舎がありました。
このそれぞれは元々身分の違いから独自の発展をとげていましたが、互いに接近し、近代の教育の元が出来上がります。
ちなみに、
郷学・寺子屋→小学校
藩校→中高等学校
私学→私立学校
と言う形で変わって行きました。
そして明治5年、国民が皆学ぶ事が出来る,学問の普及を理念とする。事を目的とし、「学制」と言うものが出来上がり、今に至ります。
もちろん教育改革は幾度となく行われていますので、内容は今も変わっています。
コロナウイルスにおいての状況下でオンラインでの授業も認可されるでしょうし。
ですが教育のベースは「国民がみんな学ぶ事ができ、それぞれが自律し活躍できるようにする事。学問を普及する事」であると言う事を忘れないようにしてください。
今の教育はどうか?
※あくまで僕の主観ですのでご了承ください(笑)
今の教育で最も感じるのは「平等」です。
当時学問が普及していなかったため、学問を普及する事が必要だとされていました。
今の世の中は学問がいきわたり、学ぶ事が当たり前になっています。
そして学ぶ事が教える事に変わっていってしまっています。
どのように学ぶかではなくどのように教えるかに意識が変わっていっていると感じています。
スタート当時は国民目線だったはず、ですが徐々に戦時教育あたりから、国家目線に変わり現在もその意識が根付いています。
学問は教える事が主ではなくみずから学ぶ事が主であるはず。
強制はしてはいけないし、興味が無くて当たり前。
出来なくても当たり前。
ですが、皆に教育を受けさせようとしている現状。
ただ、ぼくは真っ向から否定しているわけではありません。
高度経済成長を経て今の素晴らしい日本になったのは、間違いなく学校教育のおかげだと思うからです。
今がまさに転換期に差し掛かっているだけだと思います。
変えれないというのが今足枷になっているところなんでしょうね。
テストは完璧主義者を量産する
学校のテストを思い返してください。
基本〇か✕です。
△が今減ってきているんですよね。
評価を平等にしないといけないですから。
小学校1年~高校3年まで12年間もの間正解か不正解しかない事をやり続けてたらそりゃあ物事を2択で判断するような暗示になります。
どっちでもいいが認められないんです。
正解が無い授業
正解が無い授業、今注目されている寺子屋です。
当時は読み書きに加え、修身を学んでいました、今でいう道徳です。
陽明学や儒学など柔軟に取り入れ、政府の重役を輩出。
現在では経営者なんかが好んで学ぶくらいです。
ぼくは子どもに接するとき特にこの寺子屋方式を意識します。
決して答え合わせをしません。
そして共に学びあいます。
ぼくがやっているのは教育ではなく共育なんです。
学問はなぜ?から始まる
なぜここの空気はきれいなのだろう?
きれいなこの空気をみんなにとどけられないかな?
このように学問は生まれます。
数学なんかもそうです。
机とかも家も数学が無いとできませんからね。
学問には人のために使うという思いやりの側面もあるのです。
学問は思いやり。
なぜ?と思った疑問を思いやりをもって学問が出来ました。
だからこそ大人になってから実感したんです。
こんな使い方があるんだ~
こんな理解ができるんだ~
いろんな気づきがありました。
本質を知れば必要性がどんどん見えてきます。
本日はここまで! 京都市中京区のアイデア数理塾、油谷がお届けいたしました!